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くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

風鈴は夏の風物で、夏の季語です。
くろがねの風鈴というと、南部鉄かなにかでできているものを想像します。「秋の風鈴」は、夏が過ぎて秋になってもまだ外していない風鈴のことを言っているのでしょう。
くろがねのどっしりとした存在感に反して、時折思い出したように季節はずれの音を出している風鈴です。

俳句叙法の一つの典型ともいうべき句である。ここには、風景も、生活も叙べられようとはしていない。ただ一個の風鈴があるのみだ。
俳句は何を詠うにしても努めて単純化しなければ十七字の短詩型に完き形と、整った声調をあわせ具えた表現はしがたいものである。語法の省略といった叙法の問題の以前に、この単純化ということが必要なのもこのためである。しかし、この風鈴の句は、単純化などをしていない。

「くろがねの」の語は「秋の」の上にあって「秋」を秋一般の概念から作者の側に強くひきつけ、限定している。そして「くろがねの秋の」の語が「風鈴」を一個平凡の風鈴から作者の心につよく響いて存在し、いまは作者のものとなってうちだされた風鈴に価値転換をされているのである。風鈴は風鈴の在り方として、そして今作者と響をかわすものとして鏘然と鳴ったのである。
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をりとりてはらりとおもきすすきかな

仮名書きの俳句作品として、よくお手本にされるのがこの作品である。

何本かのススキを手に持った時の「重さを感じない重さ」って言うビミョ~な感覚が伝わって来ないと思う。それに、ススキを折り取るのも、なかなかチギレなくて、力を入れてるように感じる。ようするに、まだ青々としてるススキで、折りにくいし、水分を含んでる重さを感じちゃうのだ。だけど、原句のひらがなで書かれたほうを読むと、茶色く枯れかけたススキで、少しの力でポキッと折れて、何本も手にしたのに、ほんのわずかな重さしか感じないのが良く分かる。そして、今夜のお月見に対する楽しみだけじゃなく、ワビシサやハカナサのような情感までが伝わって来る。これが、ひらがなの持つ表現力で、「あいうえお」じゃなく、「いろはにほへと」の48音だからこその豊かさなのだ。
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