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牡丹散つてうちかさなりぬ二三片

蕪村の代表作の1つ。優麗に咲き誇っていた牡丹の花が散った。崩れるように散ってしまった。その中の2,3片が静かに黒い土の根元に重なった。豪華な花だけに散る姿は美しくも儚い。崩れる感じが牡丹にはふさわしい。最も美しいものの、美しい散り方を描き出した。うつろに散った花弁は幽玄の美であり、さっぱりと、未練げもない。自然の摂理でもある。「散って打ち重なりぬ」に、蕪村の画家としての写実の確かさを感じる。
蕪村には牡丹の句は多いいが、この句は俗世間を離れたような詠い方をしている。別の記録によれば、有明の月のある早朝であるとある。幽暗の中に沈んだ感じから夕刻とも考えられる。
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不二ひとつうずみのこして若葉かな

ここで使われている言葉は 不二が一つ と うずめ残している と 若葉 の3つしかない。しかし この3つを 頭の中で つなぎ合わせ イメージしてみよう。広大な大パノラマが出現する。おりからの五月のきらきらする光の中にはるか地平の果てまで続く若葉の海。空はどこまでも青く、爽やかな風が吹き渡る。その中にたった一つ若葉にうずめられずに残っている富士山。すばらしい景色である。力強い季節のよろこびをあらわしたメッセイジである。

菜の花や月は東に日は西に

この句は神戸六甲山脈の摩耶山を訪れたときのものといわれます。六甲山脈は海の近くで、また当時は、摩耶山には見渡す限り菜の花が咲いていたということです。
 主役は菜の花。「や」が語っています。
 想像してください。見渡す限りの菜の花畑。土と花の香り。黄色。昼から夜に切りかわる静寂。昼でも夜でもない切り取られた時間。海に沈む夕日。視線を動かすと白い月。自身の肉体や呼吸さえも存在せず、体を離れた意識だけが香りと色とを同時に感じる……私はそんな景色を思います。
 いや、蕪村はそんな威厳なものではなく、もっと純粋な美しさを唱ったのでしょうか。みなさんはどう思われますか?
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