FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

五十歩百歩

(ごじっぽひゃっぽ)
 梁(りょう)の国の恵王が孟子に相談しました。恵王は「私は、治めている国の人々に対して精一杯の心配りをしているつもりだ。例えば、ある土地が凶作になって苦しんでいるのを知った私は、その土地の農民を一時的に豊作の地に移したりした。そのような気遣いをしている国はどこにもない。他のどこの国よりも善政を行っているはずなのに、自分を慕って人々がこの国に集まってこないのは一体どうしてだろう。」と言いました。

 孟子が答えました。「王様は戦争がお好きなようなので、戦争をたとえにしてお答え申し上げます。味方の軍の太鼓が鳴り響いて戦いがますます激しくなり、とうとう刀と刀が直接触れあう接近戦になりました。あまりの激しさに武器を手放し、鎧・甲を脱ぎ捨てて逃げ出す者があらわれました。ある者は五十歩逃げて思いとどまり、もうひとりは百歩逃げて思いとどまったとしましょう。この時に五十歩逃げた者が、百歩逃げた者のことを『臆病者だ!』と笑ったとしたら、王様はどう思われますか。」恵王は「それは、笑ってはいけないだろう。逃げた歩数がただ百歩にならなかったというだけであって、逃げたことに変わりはない。ふたりの臆病に差はないだろう。」と答えました。

 孟子は「王様がそのことをおわかりならば、自分の国に人々が集まることを期待してはいけないということに気付いていただけるでしょうか。つまり、自分の政治を抜きにして人々が苦しんでいることを凶作のせいにするようでは、本当の意味での善政をしているとは言えないのです。それはまるで、凶器を使って人を傷つけておいて、自分ではなく凶器が悪いと言っているようなものです。農作業のことをきちんと理解してから人民がきちんと働けるようにすれば、食べきれないほどの多くの穀物が取れるようになるでしょう。沼や池で漁をするときに目の細かい網を使わないようにすれば、魚やすっぽんは食べきれないほど取れるようになるでしょう。よくよく吟味して適した時期に木を切るようにすれば、使っても使い切れないほど多くの木材を手に入れることができるでしょう。そうして、穀物や魚などが有り余るほど豊かに採れ、木材が使い切れないほど多く扱えるようになれば、人民は家族を大切に養い、死者を厚く弔って人生に心残りがないように生活するようになります。それこそが『有能な王が仁義道徳によって天下を治める政治』の第一歩なのです。」
■本質的に大きな差はない。

<例> どちらの企画も、五十歩百歩だ。
スポンサーサイト

虎視眈々

(こしたんたん)
 儒教(じゅきょう)の経典である易(えき)で用いられている占いに、六十四卦(ろくじゅうしけ、ろくじゅうしか)というものがあります。占うときの項目が64種類ありますが、その中のひとつに下あごを意味する「頤(い)」というものがあります。下あごは食べるときに動かしてからだ全体を養う大切な場所なので、「頤」には「口・養う・生活する・育てる」という意味があります。その「頤」に関して次のような解説が書いてあります。

 上の立場の人が下の立場の人を頤(やしな)うのは当然のことですが、上の人が下の人に頤(やしな)ってもらおうとするのは間違いで「凶」になります。ただし、下の者がとてもいい人だという理由で頤(やしな)ってもらおうとするならば、他の人々に夢や安らぎを与えることができるので吉(きち)になります。もし、下の人に助けてもらうことでばかにされるのではないかと心配するならば、虎が獲物をねらってじっとにらみつけているような態度でのぞむようにすれば大丈夫でしょう。
■攻撃や侵略、野望をはたすための機会をうかがっている様子。

<例> 次のチャンスを、虎視眈々と狙っている。

虎穴に入らずんば虎子を得ず

(こけつにいらずんばこじをえず)
 今から2000年以上も前の話です。中国の敦煌(とんこう)から西へ、砂漠の中を16日ほど進んだあたりにロプ=ノールという湖がありました。ロプ=ノールはタリム川末端にある内陸湖で、古代の中国人は、この湖の水が地中を通って黄河の水源になると信じていました。湖水の位置や様相がかなり変化して砂漠の中を移動するので、謎の湖として人々から“さまよえる湖”と呼ばれるようになった湖です。
 ロプ=ノールのほとりには楼蘭(ろうらん)という王国がありました。楼蘭王国はシルクロード東部の中心都市でした。世界中のいろいろな言葉が飛び交い、隊商宿の前には、ペルシアのじゅうたんや中国の絹が並べられ、夜になるとあちらこちらで酒宴が行なわれました。旅人たちは楼蘭人のあついもてなしで旅の疲れを癒していました。

 栄えていた楼蘭王国でしたが、匈奴(きょうど)に攻められて、紀元前176年にとうとう支配下におかれてしまいました。その後、漢の武帝が匈奴の討伐をはじめ、紀元前77年になると、今度は漢の属国にされてしまいました。
 ある時、漢の将軍である班超(はんちょう)が西国を巡回し、王国に立ち寄ることになりました。最初、班超たちは手厚くもてなされていましたが、ある日突然冷たい態度をとられるようになりました。不思議に思った班超が調べさせてみると、どうも匈奴からも使者がやってきているようでした。国王は漢と匈奴のどちらを味方にしたらよいか迷っているが、どうも大軍で来ている匈奴に気持ちがなびいているようだ、ということがわかりました。

 班超が部下に相談したところ、みんなが口をそろえて「将軍の判断にお任せいたします」というので、班超は決意を述べました。
 「虎が住んでいる穴(危険な場所、行為のたとえ)に入らなければ虎の子(大切なもの、めずらしいもの、貴重なもののたとえ)を手に入れることなどできない。夜のうちに、匈奴の使者がいる宿舎を焼き打ちにする以外、私たちに勝ち目はないと思う。私たちは少人数だが、相手は私たちの兵力がどれほどいるか知らないので、一気に攻めれば恐怖に襲われて混乱し、全滅させることができるはずだ。大軍である匈奴をやっつければ、迷っているこの国の王はわれわれ漢の力を恐れるようになるだろう。」

 班超たちは計画を実行して、匈奴の使者を全滅させることに成功した。どちらの臣下になるべきか迷っていた国王は漢への服従を誓うことになった、ということです。
■危険をおかさなければ大きな利益は得られない

<例> 思い切った投資をするのは、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だからです。

呉越同舟

(ごえつどうしゅう)
 紀元前5世紀といいますから、今からざっと2500年ほど前の話です。呉という国と越という国は歴史に名を残すほどの激しい戦いを繰り返していました。

 軍隊をうまく動かすことができる人は、たとえていうならば、常山(じょうざん)に住む伝説の大蛇「卒然」のようなものです。卒然はとても強くて素早い動きをします。頭を撃とうとすると目にもとまらぬ速さで強じんな尾でやられてしまうし、尾から撃とうとすればたちまち頭が来てガブリとやられてしまう。かといって体から撃とうとすれば頭と尾が一度にかかってくるのです。結局どこを攻めてもやられてしまいどうすることもできないのです。軍隊はこの卒然のように配置して動かすことが大切なのです。
 呉の人と越の人は長年の戦いにより、お互いに憎しみあっています。しかし、たまたま同じ舟に乗り合わせて川を渡っているときに、大風にでも遭いお互いが危機になったときにはまるで左右の手のように協力し合って救いあうことでしょう。
 戦うときにたくさんの馬をつないで車輪を土に埋めて陣地をしっかり固めても、十分戦えるとはいえないのです。軍の中には勇ましい者もいれば臆病な者もいます。臆病な者が勇ましく戦えるようにするためには軍隊の動かし方を工夫しなければなりません。強い者にも弱い者にも同じように十分な働きをさせるためには地形を利用するのがよいでしょう。地形をうまく利用して兵士たちが戦うほかに道がないように配置してから軍隊をうまく動かせば、まるで強い者が手をつないでいるように全体がひとつとなって戦うことができるでしょう。
■仲がよくない者たちが、同じ場所・境遇にいること。

<例> いざというときには、呉越同舟で乗り切らねばならない。

紅一点

(こういってん)
 宋の国の王安石(おうあんせき)が大臣だったとき、翰林院(かんりんいん)の庭に柘榴(ざくろ)の林がありました。とても美しい緑の枝葉が生い茂っている中に、たったひとつだけ紅(あか)い花が咲いていました。
 それを見て、王安石は詩を詠みました。
 
   とても濃い青葉が茂る木々の中に
   たったひとつの紅い花が咲いている
   人を感動させる春の景色は
   この紅い花だけで十分だ
■男性ばかりの中に女性がひとり交じっていること。

<例> 彼女はわがチームで紅一点の存在なのです。

逆鱗に触れる

(げきりんにふれる)
 竜は鱗(うろこ)のある生き物の長です。闇の中にもいるし光の中にもいる。細くもなるし太くもなる。短くもなり長くもなり、春分には天に登り、秋分には淵に潜(ひそ)む。自由自在な竜はめったに人の目の前に現れることはありません。
 竜は、頭は駱駝(らくだ)に似ていて、角(つの)は鹿に似ていて、目は兎(うさぎ)に似ていて、耳は牛に似ていて、項(うなじ)は蛇(へび)に似ていて、腹は蛤(はまぐり)に似ていて、鱗(うろこ)は鯉(こい)に似ていて、爪は鷹(たか)に似ていて、掌(てのひら)は虎に似ています。尊敬の念を込めて竜を描くときには、口は吼(ほ)えるように開き、目は射るように見開き、首は細く頭を掲げ、身は緩やかに長く描くとよい、とされています。
 竜はとてもおとなしくて人と仲良しです。機嫌のいいときにはまたがって大空を飛ぶこともできます。ただ、竜ののどもとには逆さに生えた直径一尺ほどのうろこがあり、もし人がそれに触れてしまったなら必ず殺されてしまうのです。

 竜はとても強大な力を持っていることから君主のことを竜にたとえることがあります。君主の顔のことを敬意を表して「竜顔」というのもその例です。どんな君主にも竜と同じように触れられたくないことがあるものです。君主に忠告するときには逆鱗に触れないようにしなければいけません。間違って気に入らないことを言ってしまえば殺されることもあるので注意しなければいけません。 
■目上の人にきつく怒られること。

<例> あのひと言が、社長の逆鱗に触れたようだ。
●竜を描くときには、口は吼(ほ)えるように開き、目は射るように見開き、首は細く頭を掲げ、身は緩やかに長く描くのがよい、とされています。

鶏鳴狗盗

(けいめいくとう)
 斉の国に孟嘗君(もうしょうくん)という賢い指導者がいました。孟嘗君の周りには、有名な学者がたくさん集まりました。その一方で、孟嘗君は身分や過去を問うことなくすべての人々を同じように待遇していたので犯罪者もたくさん集まってきました。隣国の秦の昭王は、そんな孟嘗君の人望の厚さに脅威を感じるようになり、殺してしまうつもりで捕まえてしまいました。

 捕らえられた孟嘗君は、昭王の愛人になんとか釈放してもらえないだろうかと頼んでみました。愛人は「わが昭王が大切にしている秘蔵品の狐の白い毛皮が私のものになるなら考えてもいいわ」と答えました。孟嘗君がなんとかならないだろうかと困っていると、いつもなかまから何の役にも立たないと悪口を言われていた男が申し出てきました。「わたしはあなたに雇われるまでは悪い盗人でした。そんな私でもわけへだてなく大切にしてくださり感謝の気持ちは言い尽くせません。なんのとりえもなく他人から見下げられている私ですが今回はお役に立てるかもしれません。」そう言い残すと、男はまるで狗(イヌ)のように宮中の蔵に忍び込んで、いとも簡単にその白い毛皮を盗みだしてきました。その毛皮を昭王の愛人に手渡すことで孟嘗君は無事に釈放されることとなったのです。

 ところが、昭王は釈放したことを後悔して、再び追っ手を向けました。孟嘗君は、関所までなんとか逃げてきましたが夜は通り抜けることができません。早く朝になってほしいと焦っていると、いつも孟嘗君のなかまから何の役にも立たないと悪口を言われていたものまねの上手な男が、「私に任せてください。」と申し出て、鶏の鳴き真似をしました。役人たちは朝だと勘違いして孟嘗君たちを通してしまい、無事に逃げきることができました。

 孟嘗君がこの二人をなかまとして迎えたとき、他の人々は「なぜこんな奴らをなかまにして大切に扱うのだ・・」と納得しませんでした。しかし、個性を見抜いて二人を待遇していた孟嘗君の眼力にみんな感服することとなったのです。
■どんな人物が役に立つかわからない。

<例> 鶏鳴狗盗という言葉があるように、彼らはこれからどうなるかわからないさ。

蛍雪の功

(けいせつのこう)
 晋の時代に車胤(しゃいん)という人がいました。幼いころからつつしみ深く、まじめに学問をして飽きることもなく、あらゆる文献に目を通して、何にでも広く通じている人物でした。ところが、家はとても貧しくて灯りの油をいつでも買えるというわけではありませんでした。夏の夜になると練り絹の袋に蛍(ほたる)を数十匹入れてその明かりで書物を照らし、昼夜を通して勉強したのです。その努力が実を結んで、のちに尚書郎<※現在の日本の最高裁判所長官にあたるでしょうか・・>という高官に出世したということです。

 同じく晋の時代の孫康も家が貧しくて、灯りの油がない生活を送っていました。冬の夜はいつも雪明かりに照らして読書していました。若いときから清廉潔白で、友だちも悪いつきあいは避けるようにしてまじめに努力したのです。のちに御史大夫<※現在の日本の総理大臣にあたるでしょうか・・>という長官に出世したということです。
■一生懸命学問に励むこと。特に貧しい中で苦心して学問をすること。
単に教育を受けることや、しっかり勉強をして学校を卒業するをさすこともあります。

<例> この合格は、まさに蛍雪の功が生んだものだね。おめでとう。

驥尾に付す

(きびにふす)
 伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の兄弟は、先人の教えをよく勉強する人たちでした。周の武王が自分の主君である紂王(ちゅうおう)を討って王となったとき、「それは天の道に反することで許せない!」と嘆いて、山に引きこもってしまいました。そんな武王がいる周の国には世話になりたくない、という考えから、周の国でとれた穀物を食べずに、そのまま餓死してしまいました。また、孔子(こうし)の弟子たちの中でも、特に顔淵(がんえん)は優秀でしたが、日頃から孔子は 「顔淵は私の弟子たちの中でもっとも学問を好みよく努力する」と誉めていました。

 伯夷と叔斉は行いのすばらしい人たちであったし、顔淵も広く学問を学んだ優秀な人でした。ただ、この人たちが有名になって、人々から尊敬されて手本となるような生き方ができたのは、導いてくれる先人に付き従い、先人からよく学んだからです。

 小さな蠅(ハエ)は、自分ではたいした距離を飛ぶことなどできないが、驥尾(きび)<驥=1日に千里も走るという名馬、の尾)にとまっていれば、はるか遠いところにも行くことができます。岩陰に隠れているような才能ある優秀な人物が世に出るか出ないかは、本人の努力だけでなく、出会いや時の運にも左右されるのです。
■ すぐれた先輩について、自力ではできないようなことをなし遂げること。
また、他人と行動するときの謙遜の言葉。

<例> 私は、あの先生の驥尾に付すことで今の地位を築き上げられたのだと感謝している。

牛耳を執る

(ぎゅうじをとる)
 昔の中国では、諸侯が集まって同盟を結ぼうとするときは、神への生贄(いけにえ)として用意された牛の左耳を切り落として、その血を唇(くちびる)にぬって誓いあうという風習がありました。同じ動物の血をすすることでお互いがなかまになるという意識を持つ儀式で、牛の耳を切り落とすのは最も弱い国の役割、それを盟主(めいしゅ=その会合の代表)が最初に血をすすって、あとは指名された順に回しました。

 魯(ろ)という国が世の中を治めていた頃、晋(しん)という国と衛(えい)という国が同盟(どうめい)を結ぼうとしていました。衛の国から晋の国に対して「牛耳をとって欲しい」という申し入れがありましたが、晋の役人である成何(せいか)は、「衛はわれらの国の一地方である温や原という場所と同じ大きさの国ではないか。同じ諸侯としての扱いはできない。」と断りました。
『佐伝』
■ 団体・党派・会合などの中心人物や代表になること。それらを意のままに動かすこと。

<例> 彼女は、実質的にこの団体の牛耳を執っている人だ。

疑心暗鬼

(ぎしんあんき)
斧(おの)をなくした者がいました。「となりの息子がどうもあやしいぞ。」と疑っていました。最近、となりの息子の歩く様子はあきらかに不自然なのです。出会ったときの視線も今までと違うし顔色もおかしい。話していても不自然な感じがするし、会話もあっさりとしていて話題も単調になっている。そう思ってみると日常の動作や態度がすべて怪しいのです。何か隠しごとをしているのは間違いありません。

ところがある日、近くの谷間で斧を見つけました。よくよく考えてみると、自分がそこに置き忘れていたのでした。斧を見つけた帰り道に、となりの息子と会って話をしてみても全くあやしげな様子は感じられませんでした。そして、それ以降も彼の様子に不自然な感じは全くありませんでした。
■疑いの心をもって見ると、あやしくないものまであやしくみえること。

<例> 男はだまされ続けてきたので、すっかり疑心暗鬼になっていた。
●原文の中には「疑心暗鬼」という言葉はでてきません。宋の林希逸(りんきいつ)の列士の注釈の中で、「諺(ことわざ)に曰く、疑心暗鬼なり」として、この話が紹介されています。暗鬼とは「暗闇の中にいるかもしれない鬼」で、ありもしないものを怖がるという意味です。

管鮑の交わり

(かんぽうのまじわり)
 中国の春秋時代。斉の国に管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)という幼なじみがいました。後に、管仲は鮑叔に推薦され王となりました。王になってから管仲は、自分にとって鮑叔の存在がいかに大切であったかをしみじみと述べました。

 「若い頃、鮑叔と一緒に商売をしてもうけを分けあうときには、私が多めにとったものだ。だが、鮑叔は、私を決して欲張りだとは言わなかった。私が貧しいことをよく知っていたからだ。私が鮑叔の事業を立案したことがあったが見事に失敗に終わってしまった。それでも鮑叔は、私のことを愚か者だとは言わなかった。ものごとは、成功するときも失敗するときもあると知っていたからだ。

 私はいろいろな主君に仕えたが、そのたびにやめさせられてしまった。それをみた鮑叔は、私のことを頭の悪い奴だとは思わなかった。私が、まだまだチャンスに恵まれていないことを信じていたからだ。私はかつて3度の戦に出たが、3度とも負けて逃げ帰ってきた。鮑叔は、私のことを卑怯(ひきょう)者だとは言わなかった。私には年老いた母がいることを知っていたからだ。

 斉の国の公子糾(ちゅう)が戦いに敗れたとき、一緒に守り役をしていた召忽(しょうこつ)は糾と共に死ぬことを選んだのに、私は死ぬことができずに囚われの身となった。そのときでも、鮑叔は、私のことを「恥知らずだ」とは言わなかった。私が、その場の小さな恥にはとらわれない人間であり、そのまま死んで天下に名が知られないことの方が恥ずかしいと考えているということをよく理解していたからだ。

 こうして考えると私を生んで育ててくれたのは両親であるが、本当に私のことを理解してくれているのは鮑叔なのだ。」
■利害にとらわれない、信頼できる親密な友人関係のこと。

<例> 私と彼は、小さな頃から管鮑の交わりとも言うべき関係を作り上げてきた。

完 璧

(かんぺき)
 強大国である秦の昭王は、趙の国の恵文王(けいぶんおう)が持っていた「和氏の璧(かしのへき)」というすばらしい宝の玉が、欲しくて欲しくて仕方ありません。ある日、昭王は趙の国に使者を送り、「和氏の璧」と「趙の国内の15の都市」との交換を申し出ました。恵文王は、「秦の国は、いずれ我が国を滅ぼそうとしている・・」と知っていたので、昭王の申し出を信用することができません。素直に「璧」を差し出せば、都市との交換の件をうやむやにされるかもしれないし、かといって、断れば、それを口実にして一気に攻めてくるかもしれません。

 恵文王が困っていると、相如(しょうじょ)という人物が申し出てきました。「私を使者にしてください。交換条件がうまく成立すれば「璧」を置いてきましょう。交渉がうまくいかないときは、無傷のまま「璧」を持ち帰ります。」と言いました。そうして、相如は秦の都へ向かいました。

 交渉の場で相如がまず「璧」を手渡すと、昭王は大喜びしました。しかし、予想していたとおり交換条件のことは何も言わず知らん顔をしました。そこで相如は「実は、その玉には小さなキズがありまして・・」と申し出て、説明するふりをしてその「璧」をさっと手にするやいなや、部屋の後ろの柱まで一気に下がりました。「あなたは、都市との交換のつもりがないようなので、この「璧」は私が持ち帰ります!もしそれをお許しなさらないのなら、ここで私の頭もろとも柱に打ちつけて砕いてしまいますよ!」と叫びました。昭王は、相如の気迫に押されて、「璧」とともにそのまま帰国させることにしました。そうして、「璧」は完全なまま恵文王の手元に戻った、ということです。

   <参考>和氏の璧
■完全で欠けたところがないこと。

<例文> このレポートは、完璧ですね。

画竜点睛 

(がりょうてんせい)
 梁の国の武帝は、仏教を厚く信仰していました。たくさんの寺を建てて、寺の装飾画の多くは張という画家に書かせていました。張は、都の安楽寺で4匹の白い竜を描きましたが、どの竜にも、睛(ひとみ=瞳のこと)を書き入れませんでした。そして、「もし、この竜に瞳を書き入れたら、飛んでいってしまうんだよ」と言っていました。人々は、でたらめを言っていると思ったので、試しに瞳を書き入れるようにお願いしてみました。願いを受けて彼は2匹だけ絵の竜の瞳を書き入れました。

 しばらくすると、雷が鳴り、稲妻で壁が壊されて、瞳を書き入れた2匹の竜は、雲に乗って天に飛び上がっていってしまいました。それを見た人々は腰を抜かし、張の画力に感服したということです。

 瞳を書き入れなかった2匹の絵だけが、今も安楽寺の壁に残っています。
■文章や絵画で、最も重要な箇所に手を加えて、効果をあげること。
最後の大切な所に手を加えて、物事を完成させること。
※打消表現にして、最後の肝心なところを仕上げずに不完全な状態であるという意味で使うことが多い。

<例> すばらしい作品なのに、あと一歩のところで画竜点睛を欠いていて残念ですね。

株を守る

(かぶをまもる/くいぜをまもる)
 宋の国に田を耕(たがや)す男がいました。その男が耕していた田の中には、木の切り株がありました。ある日、野ウサギが走ってきて、たまたまその切り株にぶつかって死んでしまいました。当時、ウサギの皮はとても高価なものでしたので、男はウサギを売って大金を手にすることができました。

 「よし、またウサギが捕れるかも知れないぞ。苦労して働くよりずっといいじゃないか。」と思った男は、農耕具を手放し、耕作をやめて、切り株を見守り、ウサギがぶつかるのを待ち続けました。もちろん、そんな偶然は二度とあるわけがなく、男は、毎日待ちぼうけでした。そうして国中の笑いものとなってしまいました。
■古い習慣や方法にとらわれて進歩がないこと。

<例> あの人の仕事ぶりは、まるで株を守っているようだなあ。

瓜田に靴を納れず

(かでんにくつをいれず) (りかにかんむりをたださず) 
 斉の国に虞姫(ぐき)という女性がいました。
 彼女はとても頭のよい人で、当時の王である威王に愛されていました。ある日、虞姫は威王の家臣たちが悪いことをしていることに気づき、まだ気づいていない威王に忠告しました。ところが威王は政治のことに口出しをしてきた虞姫の態度が生意気に感じられて、忠告を聞くどころか逆に腹を立ててしまい、虞姫は囚われの身となってしまいました。

 囚われた虞姫が威王に言いました。
 「王のような人の上に立つ立派な人物は、何か大きな問題が起こる前に気を配ってそれを防ぐべきです。他人から疑いを受けるような立場になってはいけません。たとえば、瓜(うり)の実がなっている畑の中では身をかがめて靴を履きかえてはいけません。瓜を盗んでいるのではないかと疑われるからです。李(すもも)の木の下では頭の上でずれた冠を直してはいけません。手を伸ばして李の実を盗むのではないかと疑われるからです。私は、王がそのような立場にならないように、悪い人たちのことを忠告したのです。」
■疑いをまねくような行為はしないほうがよいということ。

<例> 昔から李下に冠を正さずと言いますので、ここは行動を控えた方が無難ですよ。

臥薪嘗胆

(がしんしょうたん)
 呉の国と越の国は、何十年にもわたって抗争をつづけていました。そんな中、越の国は勾践(こうせん)が新しい王になりました。王が変わるときが攻めるチャンスだと思っていた呉王の闔閭(こうりょ)は、一気に越に攻め込みましたが、勾践の奇襲作戦によって呉は破れて、闔閭は戦いで負傷してしまいました。その傷がもとで闔閭は命を落としてしまうことになってしまい、彼は死ぬ前に息子の夫差(ふさ)に「この恨みを一生忘れるな」と言い残しました。

 夫差は、いつかきっと復讐(ふくしゅう)してやる、と強く誓い、父が殺された恨みを忘れないために、積み重ねた薪(たきぎ)の上に寝て、毎日その痛みに耐えていました。さらに、その部屋に人々が出入りするたびに、「夫差よ!おまえは父が越の国にやられたのを忘れたのか!」という言葉をあいさつ代わりに言わせました。数年後、今度は勾践が呉の国に攻め入りましたが、辛い思いにじっと耐えてきた夫差は、見事に越を打ち破りました。

 負けた勾践が命乞いをしてきました。部下の伍子胥(ごししょ)は「絶対許してはならない」と忠告しましたが、もう越にはほとんど力が残っていないと感じた夫差は勾践を助けることにしました。助かった勾践は、屈辱的な敗戦を忘れませんでした。朝起きたときや夜寝る前には、必ず獣の胆(きも)を嘗(な)めてそのとても苦い味をかみしめました。食事のときも必ず胆を口にして「おまえはあの恥(はじ)を忘れたのか!」と自分に言い聞かせていました。

 それから20数年の年月が流れました。夫差は弱くなった越の国のことなど全く気にせず、北方に勢力を拡大していきました。越の国力が回復していることに気づいていた伍子胥は日頃から夫差に忠告していましたが、あまりにしつこく言ったので怒りをかってしまい、とうとう自決を命じられてしまいました。伍子胥は「私の墓のそばに梓(あずさ)の木を植えてくれ。それで夫差の棺(ひつぎ)が作れるようにしておこう。それと、私の目玉をえぐり出して門に掲げてくれ。越の軍が呉の国を滅ぼすのを見届けたい。」と言い残して自らの命を絶ちました。それを知った夫差は怒り狂い、伍子胥の遺体を長江に投げ捨てました。

 その後、再び力を蓄えた勾践は呉の国に攻め入り、都を取り囲みました。夫差は和睦を申し入れて命乞いをしましたが、勾践は、絶対許すべきではないという部下の忠告を聞き入れて許さないことにしました。夫差は「私のために、国を思って、命をかけて必死で忠告してくれていた伍子胥にあわせる顔がない・・・・」と思い、顔を布で覆って自らの命を絶ちました。こうして、呉の国は滅びたのです。
■ 復讐(ふくしゅう)のために辛いことにも耐え忍ぶこと。将来の成功することを信じて、長い間苦しみに耐えること。

<例> しばらくは辛いだろうが、臥薪嘗胆して次の機会を待つ方がいいと思う。

和氏の璧

和氏の璧
 楚の国の和氏(かし)という人が、楚山で玉=宝石の原石を見つけました。「とてもすばらしい玉になるのは間違いない」と思った和氏は、さっそく、王(れいおう)に献上しました。ところがなぜか「どこにでもある石だ」と鑑定されてしまい、だました罰として左足を斬られてしまいました。

 玉の原石を理解してもらえなかった和氏ですが、王が亡くなったあと、次の武王に献上することにしました。ところが、同じように「たいした価値のない原石だ」と鑑定されてしまい、だました罪として、今度は右足を切断されてしまったのです。

 またもや玉の原石のすばらしさを理解してもらえなかった和氏ですが、その次の文王の天下になっても、その原石を大切に抱えていました。血の涙を流し、泣き続けていたある日、和氏の噂を聞きつけた文王は彼を呼びよせて、「体の具合が悪いのか」と、泣いているわけを尋ねました。「私は足を斬られたことを悲しんでいるのではありません。これほどの宝玉をありふれた石だと決めつけられ、うそつきにされてしまったことがあまりにも悲しくて、こうして泣き続けているのです」と答えました。そこで文王が、玉造という職人にその原石を磨かせてみると、なんともすばらしい世界一の宝玉が誕生したのでした。この玉は、代々の王に受け継がれる宝となり、後に秦の昭王が15の都市と交換しようと申し出たこともあったので、「連城の璧」とも呼ばれています。

  <参考 完璧>
■天下の宝玉(ほうぎょく)。

<例> これはまさに、和氏の璧ともいうべきすばらしい宝石ですね。

温故知新

温故知新
 孔子は、「先人の学問や過去の事柄をしっかり研究しなさい。そこから、現実にふさわしい意義が発見できるようならば、あなたは人の師となることができるでしょう。」とおっしゃったのです。

【原文】温故而知新 =故(ふる)きを 温(たず)ねて 新しきを 知らば
■昔のことを調査・探究したり、過去に学んだことを復習して知識を深めることによって、新しい知識や道理を身につけることができる。

<例> 新しいことを始めるときには、温故知新の考え方が大切です。

襟を正す

襟を正す
 昔、中国に、日々の吉凶をうらなう日者(につしゃ)をよばれる人たちがいました。その中でも、長安に住む司馬季主(しばきしゅ)は、特に有名でした。

 役人たちが彼のうわさを聞いて会いにいきました。司馬季主(しばきしゅ)に会った役人たちは、彼からいろいろな話を聞くうちに、司馬季主が普通の占い師ではなく、とても深い学識を持ったすばらしい人物であることに感動しました。役人たちは話を聞きながら、あまりの感動のために、自然に冠のひもを締め直し、上着の襟(えり)を正し、きちんと座り直して話を聞き続けた、ということです。衣服や姿勢を改めることで、自然に湧きあがってきた敬意を表したのです。
■敬意をあらわす態度。

<例> もう一度、襟を正してはじめからやりなおそう。

烏合の衆

烏合の衆
 中国で、王族ではない普通の身分から王になった最初の人は、漢の時代の高祖という人です。高祖の部下たちも、ほとんどが王族ではない民でした。

 彼の部下に麗食其(れきいき)という人がいました。
麗食其は、小さな頃から読書好きでしたが、家がとても貧しくて、田舎の役人としてなんとか生計をたてていました。高祖が新しい国を作るために挙兵したとき、すすんで軍に入り、読書で得た知識を生かし、策士として高祖に重用されました。彼だけではなく、特に訓練もされていない、生活ぶりも全く違う人々が、ひとりひとりの持っている力を存分に発揮して、みんなで立派な国を作りあげたのです。

 その活躍ぶりを、当時の歴史家たちは、「高祖は、烏の集まりのように統制のない大衆を見事にリードして、気ままな乱れた軍を、立派にまとめ上げて、すばらしい国を作り上げた」と、ほめました。そして、それ以来、「烏合の衆」をきちんとまとめて、勝つことが、立派な将軍の条件だ、と言われるようになったのです。


■烏(からす)の群れのように、ただより集まって騒ぐだけの集団。規律も統制もなく集まったもの。

<例> これだけの烏合の衆をまとめるのは大変そうだ。

井の中の蛙 大海を知らず

井の中の蛙 大海を知らず
 中国には「黄河(こうが)」という、とても大きな川があります。昔、そこには「河伯(かはく)」という黄河の主がいました。ある秋の日、大雨が降り、黄河の水があふれだしました。河伯は、地上の何もかもが黄河の水に飲み込まれていく風景を見て、「黄河の強大な力のなんとすばらしいことか!この世で俺の力が一番だ!」と思いました。そして、ますます勢いに乗って周囲のものを飲み込みながら下流にくだっていき、とうとう北海という海にまで達しました。目の前に広がっていたのは、河伯が見たこともない、スケールの大きな海でした。その北海には「若(じゃく)」という海の主がいました。

 河伯は、若に語りかけました。「私は今まで、自分にまさる者はいないと思ってきたが、こうして、あなたのとてつもない大きさに出会えて、ほんとうに良かった。こうして海を見ることがなければ、私は何も知らずにいただろう。自分が一番だと偉そうにして、きっとみんなから笑い者にされただろうと思う。」

 すると、若が答えました。「井戸の中の蛙(かわず=かえるのこと)に、海のことを話しても無駄だ。蛙は狭い井戸の中にとらわれているからね。夏の虫に、氷のことをはなしても無駄だ。夏の虫は、冬を知らないからね。つまらない男に、道理を話しても無駄だ。知っている知識に縛られているからね。河伯よ、今おまえは、ちっぽけな自分のつまらなさを知った。これからは私と、大きな真理について話せる友人になれそうだね。」
■見聞の狭い、世間知らずの人のこと。

<例> 彼はあんな風に偉そうに言っているが、結局は井の中の蛙大海を知らずだね。

漁夫の利 鷸蚌の争い

漁夫の利 鷸蚌の争い
 燕(えん)の国と趙(ちょう)の国が争っていました。あるとき、趙の恵文王(けいぶんおう)が燕の国に一気に攻め込もうと決断しました。それを聞きつけた燕の昭王(しょうおう)は思いとどまらせようと、外交家である蘇代(そだい)を趙に派遣しました。

 派遣された蘇代は、恵文王に語りかけました。 「今日、私がこちらの国にまいります途中に、易水という川を渡りました。その川のほとりでどぶ貝(蚌/ぼう)が日向(ひなた)に出て、殻の中の肉をさらして、のんびりと日向ぼっこをしていました。そこにお腹をすかせたシギ(鷸/いつ)が飛んできて長いくちばしでその肉をつつきました。驚いた貝は貝がらをぴったりと閉じて、シギのくちばしを挟んでしまいました。そこでシギが 「今日は雨が降らない。もし明日も雨が降らなければ、おまえは死んだ貝になってしまうぞ」 と言いました。 貝も 「今日くちばしをここから引き出せず、明日も引き出せなかったら、死んだ鳥になってしまうぞ。」 と言い返しました。両方とも全く譲ろうとしませんでした。そこに漁師が通りかかって、もめている両者を何の苦労もなく捕らえてしまいました。
 今、恵文王さまは燕の国を伐とうとしています。このまま趙と燕が争い続けるとどちらの国も人民は疲れ切ってしまうでしょう。両国とも長年の敵対関係によって明らかに国力が落ちています。もともとは趙と燕とはバランス良く調和を保ち支え合って平和を保ってきたのではありませんか。私が恐れているのは、このまま両国が争うことになったときにそれに乗じて強国の秦が漁師となって利益を得てしまうのではないかということです。恵文王さま、今は十分考えてから行動なさるほうがよろしいと思います。」
 それを聞いた恵文王は 「もっともな話だ」 と納得して、燕を伐つことを取りやめたのです。
■ 争っているときに関係のない者が利益を得てしまうこと。

<例> 漁夫の利で両方とも手にすることができてラッキーだった。
● 「漁父(ぎょほ)の利」 ともいう。

一を聞いて十を知る

一を聞いて十を知る
 孔子が、弟子の子貢(しこう)に尋ねました。
 「君と顔回(がんかい)はどっちがすぐれていると思う?」

 子貢が答えました。
 「わたしの何が顔回よりすぐれているというのでしょうか。彼は一を聞けば十を知るすぐれた理解力をもっています。わたしは一を聞いて、なんとか二を理解するのが精一杯です。」

 それを聞いて、孔子が言いました。
 「そのとおりだ。まったく顔回には及ばない。師匠のわたしも君と同じように顔回には及ばないのだよ。」
■とても理解が早いこと。わずかなことから全部が理解できること、その力をもっている人。

<例> 彼女は、一を聞いて十を知るとても優秀な人です。

一期一会

一期一会
 今後、同じ人たちと何度も茶会を開くことがあったとしても、今日のこの茶会は二度と開くことができません。ということは、毎回の茶会は自分の一生でたった一度きりの会なのです。
 ですから、茶会の主人となった人はその茶会が一生に一度のものだということを十分に心得ていささかの失礼もないように客をもてなし、客人も精一杯の誠意を尽くさなければなりません。そういう心がけのことを、一期一会(たった一度と期する=覚悟する、一度きりの会という意味)と言うのです。
 (茶湯一会集より)
■ 一生に一度会うこと。一生にたった一度きりの機会のこと。大切な出会いのこと。

<例> お客様との出会いは一期一会だと心得ています。

以心伝心

以心伝心 拈華微笑(ねんげみしょう)
 あるとき、お釈迦(しゃか)さまが、霊山(りょうせん)で説法をしたとき、一本の花をつまんで人々に示しました。説法を聞きに来ていたたくさんの人々はこれから一体何が起こるのだろうと黙って待ちかまえていました。ところがお釈迦様は何も語りません。すると迦葉(かしょう)という人物だけが微笑(ほほえ)んでお釈迦様を見つめていました。それを見たお釈迦様は迦葉を弟子にしたのです。

 歳月が流れ、お釈迦様が入滅(にゅうめつ=この世を去る)したとき、釈迦十大弟子という10人の弟子たちがいましたが、法衣と仏法の教えを迦葉に伝えることにしました。そのとき言葉や文章ではなくすべて心から心に伝えたということです。その後迦葉は最長老となり仏教を広めていきました。
 
■言葉や文字を用いずに、心から心に伝えること。

<例> 私の思いは、以心伝心(拈華微笑)で十分伝わっている。

石に漱ぎ流れに枕す

石に漱ぎ流れに枕す
 西晋の国の孫楚(そうそ)は学識にすぐれ、とても頭が切れる人物でした。孫楚は若い頃に、仕事をやめて気ままに過ごそうとしたことがありました。当時の宰相(さいしょう)であり友人だった王済(おうせい)に、「私はこれから、石を枕にして眠り、川のせせらぎで口を漱(すす)ぐような自然のままの暮らしをしたいと思っているのです」と言おうとして、間違って「私はこれから、石で口を漱ぎ、川の流れを枕にするような自然のままの暮らしをしたいと思っているのです」 と言ってしまいました。

 それを聞いて言い間違いをしていることに気付いた王済が言いました。「おいおい・・。いくらなんでも川の流れを枕にすることはできないよ。それに、石で口を漱ぐことなんてできないだろう?」と冷やかしました。すると負けず嫌いだった孫楚は「いやいや。川のせせらぎを枕にすると言ったのは、世間のつまらない話を聞いて汚れてしまった耳を洗うためです。石で口を漱ぐと言ったのは、自然の中で歯を磨くのだ、ということが言いたかったのですよ。」と負け惜しみを述べて、とうとう間違いを認めませんでした。
■負け惜しみの強いこと。強情や意地をはること。

<例> 彼の性格は、石に漱ぎ流れに枕すという言葉がぴったりだ。
●夏目漱石(本名は夏目金之助)の名付けのもとになりました。
●孫楚の切り返しがあまりに素早かったので、さすが、という言葉に 「流石」という漢字をあてるようになりました。

暗中模索

暗中模索
 唐の国に、許敬宗(きょけいそう)という人物がいました。
 彼は、宰相(さいしょう=総理大臣)までつとめた有名な人物ですが、政治をおこなう時には、皇帝のご機嫌をとっていることが多かったり、公式の歴史書を書くときには、自分に都合がいいように史実をねじ曲げてうそを書いたりしたので、他の人々に嫌われていました。さらに、物忘れもひどくて、人と会っても名前を覚えていないことが多かったのです。

 そんな許敬宗に対して、ある人が忠告しました。
 「あなたはもの覚えが悪すぎるようですね。ぜひ一度、何晏(かあん)、劉(りゅうてい)という有名人に会ってみてごらんなさい。たとえ暗闇の中でも彼らを模索(もさく=探す)したくなるぐらいとても印象的な人たちですよ。いくら忘れっぽいあなたでも 決して彼らを忘れることはできないでしょう。あなたはいろいろ活躍して有名ですが、きっと、そんな素晴らしい人たちとの出逢いがないのです。あなたは、世の中のことをよく知っているようで、実はまだまだ知らないことだらけなのですよ。」
■手探りでいろいろやってみること。手がかりのないままあれこれ試してみること。

<例文> 解決策を暗中模索していると、いい方法が頭に浮かんだ。

故事成語


暗中模索 (あんちゅうもさく)
石に漱ぎ流れに枕す (いしにすすぎながれにまくらす)
以心伝心 (いしんでんしん)
※一期一会 (いちごいちえ)
一を聞いて十を知る (いちをきいてじゅうをしる)
鷸蚌の争い (いつぼうのあらそい)
井の中の蛙 (いのなかのかわず)
烏合の衆 (うごうのしゅう)
襟を正す (えりをただす)
温故知新 (おんこちしん)


和氏の璧 (かしのへき)
臥薪嘗胆 (がしんしょうたん)
瓜田に靴を納れず (かでんにくつをいれず)
株を守る (かぶをまもる/くいぜをまもる)
画竜点睛 (がりょうてんせい)
完璧 (かんぺき)
管鮑の交わり (かんぽうのまじわり)
疑心暗鬼 (ぎしんあんき)
牛耳を執る (ぎゅうじをとる)
漁夫の利 (ぎょふのり)
驥尾に付す (きびにふす)
蛍雪の功 (けいせつのこう)
鶏鳴狗盗 (けいめいくとう)
逆鱗に触れる (げきりんにふれる)
紅一点 (こういってん)
呉越同舟 (ごえつどうしゅう)
虎穴に入らずんば虎子を得ず (こけつにいらずんばこじをえず)
虎視眈々 (こしたんたん)
五十歩百歩 (ごじっぽひゃっぽ)


塞翁が馬 (さいおうがうま)
歳月は人を待たず (さいげつはひとをまたず)
先んずれば即ち人を制す (さきんずればすなわちひとをせいす)
三顧の礼 (さんこのれい)
辞譲の心 (じじょうのこころ)
四端 (したん)
四面楚歌 (しめんそか)
弱肉強食 (じゃくにくきょうしょく)
羞悪の心 (しゅうおのこころ)
食指が動く (しょくしがうごく)
助長 (じょちょう)
人間万事塞翁が馬 (じんかんばんじさいおうがうま)
推敲 (すいこう)
是非の心 (ぜひのこころ)
千里眼 (せんりがん)
惻隠の心 (そくいんのこころ)


他山の石 (たざんのいし)
蛇足 (だそく)
忠言は耳に逆らう (ちゅうげんはみみにさからう)
朝三暮四 (ちょうさんぼし)
虎の威を借る狐 (とらのいをかるきつね)
虎を描きて狗に類す (とらをえがきていぬにるいす)


泣いて馬謖を斬る (ないてばしょくをきる)
似て非なるもの (にてひなるもの)
拈華微笑 (ねんげみしょう)


背水の陣 (はいすいのじん)
破竹の勢い (はちくのいきおい)
伐木の契り (ばつぼくのちぎり)
万事休す (ばんじきゅうす)
顰みに倣う (ひそみにならう)
百聞は一見に如かず (ひゃくぶんはいっけんにしかず)
覆水盆に返らず (ふくすいぼんにかえらず)


先ず隗より始めよ (まずかいよりはじめよ)
眼有って珠なし (まなこあってたまなし)
学びて思わざれば則ち罔し (まなびておもわざればすなわちくらし)
迷える者は道を問わず (まよえるものはみちをとわず)
水清ければ魚棲まず (みずきよければうおすまず)
水は方円の器に随う (みずはほうえんのうつわにしたがう)
矛盾 (むじゅん)
明鏡止水 (めいきょうしすい)


野心 (やしん)
夜郎自大 (やろうじだい)


良薬は口に苦し (りょうやくはくちににがし)
狼子野心 (ろうしやしん)
李下に冠を正さず (りかにかんむりをたださず) 
両雄並び立たず (りょうゆうならびたたず)
臨機応変 (りんきおうへん) 

理科で用いる試薬

リトマス試験紙
リトマスゴケなどある種の地衣類から得られる紫色の染料。ろ紙にしみこませたものはリトマス紙またはリトマス試験紙と呼ばれる。市販されているリトマス試験紙には、出荷状態で赤色のものと青色のものとがある。これは、製造工程で添加する硫酸の量の違いによる(変色域が酸性に偏っているため、青色のリトマス試験紙にも少量の硫酸が添加されている)。これらの色の変化により、酸性(青→赤)、塩基性(赤→青)、中性(共に変化なし)を判定できる。

BTB溶液
中性の時は緑色の液体で、酸性の液体を混ぜると黄色になり、アルカリ性の液体を混ぜると青色に変色する
フェノールフタレイン溶液
アルカリ性の検出に用いられ、赤紫色(濃い桃色)を呈する。フェノールフタレイン溶液は劇薬で扱いが難しく、普通には手に入りません

ヨウ素液
ヨウ素溶液にデンプンを加えると、ヨウ素デンプン反応を起こし藍色を呈する
石灰水:二酸化炭素を吹き込むと炭酸カルシウムが析出し、白く濁る。これは生成する炭酸カルシウムが水に溶けないためである。

ベネジクト液:
青色をした液体の試薬である。試料(液体)に滴下して加熱すると、還元性の糖を含む場合は反応し、酸化銅(I) の沈殿を生じる。反応色は、試料中の糖濃度により黄緑~赤褐色と多様である。

塩化コバルト
無水物から水和物へと吸湿して変化してゆくにつれて青から赤へと色調が変わり、水を失うばあいは可逆的で色調が変化するので、シリカゲルなどに水分の指示薬として添加される。

酢酸カーミン
顕微鏡観察に際し、細胞核や染色体の染色に用いる染色固定剤。

でんぷん
澱粉を水中に懸濁し加熱すると、デンプン粒は吸水して次第に膨張する。加熱を続けると最終的にはデンプン粒が崩壊し、ゲル状に変化する。この現象を糊化という。
ヒトがデンプンを食べるとまず、口で唾液中の消化酵素アミラーゼ(唾液アミラーゼ;プチアリン)により、アミロースとアミロペクチンのα1-4結合が不規則に切断され、デキストリンやマルトース(麦芽糖)に分解されていく。デンプンを含む食品を噛み続けると甘味が感じられるようになるのはこのためである。

二酸化炭素
物を燃やすだけで生成されるため、地球上で最も代表的な炭素の酸化物である。気体は炭酸ガス、固体はドライアイス、水溶液は炭酸、炭酸水と呼ばれる。常温常圧では無色無臭の気体。常圧では液体にならず、− 79 ℃ で昇華して固体(ドライアイス)となる。水に比較的よく溶け、水溶液(炭酸)は弱酸性を示す。
炭素を含む物質(石油、石炭、木材など)の燃焼、動植物の呼吸や微生物による有機物の分解、火山活動などによって大量に発生する。反対に植物の光合成によって二酸化炭素は様々な有機化合物へと固定される。
二酸化炭素は強い吸収帯を持つため、地上からの熱が宇宙へと拡散することを防ぐ、いわゆる温室効果ガスとして働くと言われているが、赤外線を反射することはない。 二酸化炭素の温室効果は、同じ体積あたりではメタンやフロンにくらべ小さいものの、排出量が莫大であることから、地球温暖化の最大の原因とされる



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。